十五歳で学び始めたと、孔子が言った言葉が四字熟語になりました。
『史記・孔子世家』によりますと、お父さんは叔梁紇(シュクリョウコツ)でお母さんは顔氏の娘。
野合して孔子を生んだ(B.C.552またはB.C.551)。となってますが、いろいろ事情があって当時の世間一般の手順を省略した婚姻だったので野合と言う言葉で司馬遷は表現したようです。
なにせ孔子が生まれたときから司馬遷の時代まで400年の開きがあります。今で言いますと、「関ヶ原の戦い(1600年)」のころ生まれた人のことを、どうのこうの言うようなものです。ハッキリしたことなど分かるはずもありません。
白川静さんの『孔子伝』によりますと
孔子の世系についての『史記』などにしるす物語りは、すべて虚構である。孔子はおそらく、名もない
巫女の子として、早く孤児となり、卑賤のうちに成長したのであろう。 ・・・・・
巫祝(フシュク)者の中に身をおいて、・・・・
葬祝(ソウシュク)のことなどを覚えていったことと思われる。・・・・
孔子は巫祝のことに携わりながら、礼学一般の教養を修めようとしたらしい。・・・・
孔子の前半生は、暗くけわしいものであったに違いない。
個人的に、この白川静さんの『孔子伝』は私の愛読書の一つです。
「今日の四字熟語 No.8 七十従心」にも孔子のことを少し書いてます、よろしければ参照してください。
『論語』での年齢別称
十五歳、志学(しがく)。 三十歳、而立(じりつ)。 四十歳、不惑(ふわく)。
五十歳、天命(てんめい)。 六十歳、耳順(じじゅん)。 七十歳、 従心(じゅうしん)。
今日5月5日は『子供の日』です。昔から『端午の節句』といわれています。
「端」は「始り」という意味です。 端午は最初の「午の日」と言うことですが「ゴ」という音をもつ「五の日」を端午といってました。そのうち数字の重なる五月五日を『端午の節句』と言うようになったそうです。