のびのびと、物事にこだわらない様子を表す四字熟語です。
【自由】:①心のまま。思うまま。勝手気まま。と言うのがもともとの意味です。
【闊達】:心が広く、小さなことに齷齪(アクセク)しないこと。
ところが【自由】について、明治のころフリー(freedom)の訳語として福沢諭吉がこの【自由】を『西洋事情』の中で使ったことから、
② 他からの束縛・強制・支配を受けないで、自分の意志によって行動すること、と言う意味が新たに付け加えられるようになりました。
【自由】①の意味で『後漢書・閻(エン)皇后紀』に下記の記述があります。閻皇后は後漢第六代安帝(B.C.106~B.C.125)の皇后です。短い間ですが閻氏一族が我が世の春を謳歌し、専横を極めました。
『是(ここ)に於いて閻景(エンケイ)は衛尉と為(な)り、閻耀(エンヨウ)は城門校尉、閻晏(エンアン)は執金吾(シッキンゴ)となり、權要(ケンヨウ:権力のある重要な地位)にして、威福(イフク:刑罰でおどしたり、恩恵を与えて手なづけること)自由(勝手気まま)なり』
皇后の兄弟で要職を占め、勝手気ままなことをやっていました。と言うことを言ってます。
また『徒然草・60段』にも、「勝手気まま」と言う意味で【自由】を使っている個所があります。盛親僧都(ジョウシン・ソウズ)という変人のお坊さんについてのお話です。
『この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書・学匠・辯舌、人にすぐれて、宗の法燈(ホウトウ)なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を軽く思ひたる曲者にて、万(よろず)自由にして、大方、人に従ふといふ事なし』
このお坊さんは、男前で、見た目もよく、力もあり、さらに大飯ぐらいでもありました。
達筆でもあり、頭もよく、講話も上手でした。全てにすぐれており、仁和寺系一番の
お坊さんでした。しかし世間を小馬鹿にしている風があり、曲者でもありました。
すべて勝手気ままにやって、人の言うことなど聞きませんでした。
福沢諭吉の『西洋事情』には、フリードム(Freedom)又はリベルチ(Liberty)の定義や訳語について記載しています。原文は「漢字カタカナ混じり文」です。
『英語に之をフリードム又はリベルチと云ふ。未だ的当(適当)の訳字あらず』。
『「リベルチ」とは自由と云ふ義にて、漢人の訳に、自主、自専、自若、自主宰、任意、寛容、従容、等の字を用ひたれども、未だ原語の意義を盡すに足らず』。
『自由とは何ぞや。我心に可なりと思ふ所に従て事を為すを云ふ。其事を為すや、只天地の定理に従て取捨するのみにして、其他何等の事故あるも、分毫(フンゴウ:少しも)も敢て束縛せらるゝこと無く、分毫も敢て屈撓(クットウ)すること無し。