右へ行ったり左へ行ったりという意味で、混乱している状態を言います。
『平治物語』上巻 第十二「院の御所仁和寺御幸の事」の一節です。
同じく23日、また大内(だいり)では源氏の兵(つわもの)どもが、六波羅より今に寄せるぞと
騒いで居りましたが、それは有りませんでした。
去る10日より日夜には源平がともに、六波羅では内裏から、内裏では六波羅から寄せるのでは
ないかとて、兵ども【右往左往】して馳せ違い、源平兩家の軍兵が、京白河を行き来して
いたのです。
『吾輩は猫である』第七に吾輩が、運動がてら螳螂を捕まえる場面があります。
吾輩は「螳螂狩り:トウロウがり」と称しています。その一部です。
蟷螂君はまだ五六寸しか逃げ延びておらん。もう吾輩の力量を知ったから
手向いをする勇気はない。ただ【右往左往】へ逃げ惑(まど)うのみである。
しかし吾輩も【右往左往】へ追っかけるから、君はしまいには苦しがって羽根を
振(ふる)って一大活躍を試みる事がある。
元来蟷螂の羽根は彼の首と調和して、すこぶる細長く出來上がったものだが、
聞いて見ると全く装飾用だそうで、人間の英語、仏語、獨逸語(ドイツご)のごとく
毫(ゴウ)も實用にはならん。
右、左を含んだ四字熟語に次のようなのがあります。
【右顧左眄:ウコサベン】 右を見たり左を見たり、なかなか決断できないこと
【右文左武:ユウブンサブ】 文武両道を兼ね備えること。
【右賢左戚:ユウケンサセキ】 親戚よりも賢者を重用すること
【左見右見:とみこうみ】 あちこち見ること、至るところに気を配ること。