浅瀬は深い淵より波が立ちやすいことから、思慮浅い者ほど、騒ぎ立てることが多いということです。
古今和歌集 恋四722、素性(ソセイ)法師の歌がもとになってできました。
そこひなき淵やはさわぐ山河のあさき瀬にこそあだ浪はたて
底知れず深く湛えた水は、うるさい波音を立てるでしょうか。
山あいの川の浅瀬にこそ、いたずらに騒がしい波音が立つものです。
浅はかな心の持ち主はお喋りであるのに対し、思慮深き人は、ベラベラ喋ったりはしません。
恋人から冷淡さを詰(なじ)られたことに対する返歌だそうです。
「仇波」は、「徒波」、「徒浪」、「仇浪」とも書きます。むやみに立ち騒ぐ波の意味です。
素性法師は、遍昭(ヘンジョウ)の子で、清和天皇の時に殿上人となりましたが若くして出家しました。
三十六歌仙の一人です。
小倉百人一首 第二十一番歌に素性法師の作としてでています。、
今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
今行くから、というので(その言葉を信じて) 九月の長い夜を待っていたのに
とうとう有明の月が出る頃になったじゃない。(どうしてくれるのよ、ウソつき。)