天に浮かぶ雲と地上の泥ほどの大きな差があるという意味です。
【雲泥】だけでも比較にならない違いを表します。
比較にならない大きな差、それは万里にも相当するというのが【雲泥万里:ウンデイバンリ】です。
中唐の詩人白居易の『傷友(友を傷む)』という5言×24句の詩の20句目に【雲泥】の熟語で出ています。
17 昔年洛陽社,
昔年洛陽の社、
昔洛陽にいた時、
18 貧賤相提擕。
貧賤にして相提携す。
貧しいながらも助け合ったものだ。
19 今日長安道,
今日長安の道、
今日、長安の道ですれ違った、
20 對面隔雲泥。
対面雲泥を隔つ。
(随分偉くなったもんだ、振り向きもしないとはな)
雲泥の隔たりを感じるよ。
夏目漱石『坊ちゃん』に【雲泥の差】として、坊ちゃんが初めて教壇に立つ場面に出てきます。
いよいよ学校へ出た。初めて教場へはいって高い所へ乗った時は、何だか変だった。
講釈をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思った。
生徒はやかましい。時々図抜(ずぬ)けた大きな声で先生と云う。
先生には応(こた)えた。今まで物理学校で毎日先生先生と呼びつけていたが、
先生と呼ぶのと、呼ばれるのは【雲泥の差】だ。
何だか足の裏がむずむずする。おれは卑怯(ヒキョウ)な人間ではない。
臆病(オクビョウ)な男でもないが、惜(お)しい事に胆力(タンリョク)が
欠けている。
先生と大きな声をされると、腹の減った時に丸の内で午砲(ドン)を聞いたような気がする。
最初の一時間は何だかいい加減にやってしまった。
しかし別段困った質問も掛けられずに済んだ。
控所(ひかえじょ)へ帰って来たら、山嵐がどうだいと聞いた。
うんと単簡に返事をしたら山嵐は安心したらしかった。