面(つら)の皮が厚いずずうしい者でも、恥かしく思うことを表す四字熟語です。
【顔厚】は① 面(つら)の皮の厚いことから、恥知らずの意味になります。厚顔。
② 恥じいることの謙遜の言葉でもあります。
【忸怩】は2字とも、「は‐じる」の意味をあらわす擬態語です。「は‐じる」を重ねて強調しています。
大いに恥じると言うところでしょうか。本当に恥じ入っているのかは別として
「内心忸怩たるものがある」などと使われます。
出典は『書経(ショキョウ)・五子之歌(ゴシのうた)』です。
『書経』は儒学の教科書である五経(ゴキョウ:春秋、詩経、礼記、書経、易経)の一つです。太古の
堯舜(ギョウシュン)から秦の穆公(ボクコウ)までの政治について、模範となる帝王の言行を記した書籍です。漢代には『尚書(ショウショ)』といわれ、宋代以降『書経』と呼ばれるようになりました。
『古文尚書』、『今文(キンブン)尚書』、『偽(ギ)古文尚書(後世に作られたと言う意味です)』などがあるようです。
出典となっている書経・『五子之歌』は『偽古文尚書』の中にあります。五子之歌と言いますのは、
行方不明になった兄を心配して、五人の弟達が歌ったものです。その内の五番目の歌に
【顔厚忸怩】が出てきます。そこのところ全文を掲げました。
熟語『鬱陶(ウットウ)しい』も書経のこの部分が初出らしいです。
『読み下し文』
其の五に曰く、
嗚呼(ああ)曷(いずく)にか帰(き)せん。 予(ヨ)之(これ)を懐(おも)ひて悲しむ。
万世(バンセイ)予を仇(あだ)とす、 予将(は)た疇(たれ)にか依(よ)らん。
鬱陶乎(ウットウコ)たる予が心、 顔厚なれども忸怩たる有り。
厥(そ)の徳を慎(つつし)まざれば、悔(く)ゆと雖(いえど)も追ふ可(べ)けんや。
『私 訳』
第五の歌はこうです
ああ、一体どこに身を寄せたらいいのだ。 わたしはそれを考えると悲しくなる。
天下の万民はみな私を仇(かたき)としている。 わたしは一体誰をたよりにしたらよいのだろうか。
悲しみにふさがれた私の心よ。 面の皮の厚い私も、さすがに恥かしく思う。
君主としての徳を慎まなければ、後悔しても追い付くことは出来ないんだろうな。