一杯の水を飲むのも、一椀の飯を食べるのも、すべて薬のつもりで飲食すること。
『言志晩録』281条からの四字熟語です。
一飲一食も、須(すべか)らく視(み)て薬餌(ヤクジ)と為(な)すべし。
一杯の水、一椀の飯も、すべて薬のつもりでなくてはならぬ。
孔子薑(はじかみ)を撤(テッ)せずして食う。
孔子は(料理のツマにつけてある)、はじかみ(しょうがの類い)は
(口中を爽やかにする為にも、毒消しの為にも)捨てないで食べた。
多食せず。
食事は大食しない。
曽晢(ソウセキ)も亦羊棗(ヨウソウ)を嗜む。
曽晢もまた羊棗を好んだ。
羊棗は大棗(タイソウ)とは異なり。然れども亦薬食なり。
羊棗と大棗とは別物であるがもこれまた薬になるものだ。
聖賢恐らくは口腹の嗜好も為さざらん。
以上の事から、聖人や賢人は、口や腹を満たすためだけに、
食事をしたわけではないようだ。