心に疑いを抱きながら事を行っていては成功しません、という意味の四字熟語です。
【疑事】は疑わしい事がら、疑念を持たれている事がらを表します。
『戦国策・趙(チョウ)巻』に出てくる四字熟語です。
『戦国策』は33巻で、前漢の劉向(リュウキョウ:B.C.77?~B.C.6?)の撰による書です。
周の元王(B.C.476)から秦の始皇帝25年(B.C.222)までの約250年間に渡って、戦国の遊説家の弁論を編纂したものです。司馬遷が『史記』を著すとき参考にしたと言われています。
また、時代名称としての「戦国」はこの『戦国策』からとられたといわれています。「春秋」は魯(ロ)の歴史書『春秋』からとられました。
『肥義(ヒギ)曰く、臣(シン)之(これ)を聞く、疑事は功無く、疑行(ギコウ)は名無し、と』。
肥義〔趙・武霊(ブレイ)王の賢臣〕が言うには「臣はこのように聞いてます、疑ってすることは
成功せず、疑ってする行いは名声が揚がらない」 と。
【疑事無功】の四字熟語がうまれるのには、ある経緯(いきさつ)がありました
武霊王(B.C.325~B.C.299)は北方遊牧民族の騎馬隊の機動性に着目し、胡服して騎射する戦法を採用しようと考えていました。保守的な大臣たちは、外国のそれも胡(えびす)の服を着るなどとはとんでもない、と大反対でした。世評やら大臣たちの反対やらを気にして躊躇(ためら)っていたとき、肥義が進言したのが【疑事無功】でした。肥義はさらに続けます
「王が、古くからの風俗習慣を捨てて、非難を受けることを覚悟で決心なさったのですから、大臣がなんと言おうが、世間がどう思おうが、構うことはありません。実行あるのみです」
そう言って、王に【胡服騎射】を遂行させました。こうして騎射の無敵部隊が出来あがりました。
武霊王が騎馬戦法を用いて以来、他諸国もこれにならい従来の戦法は廃れて行きました。