まだ世に出る機会を得ず、野に埋もれている英雄を言います。
【臥竜】は、伏せている竜をいいます
【鳳雛】は、鳳(おおとり)のヒナをいいます
出典は、『十八史略』東漢/孝献皇帝/諸葛亮です。
琅邪(ロウヤ)の諸葛亮、襄陽(ジョウヨウ)の隆中(リュウチュウ)に寓居し、毎(つね)に自ら
管仲(カンチュウ)・楽毅(ガッキ)に比す。
諸葛亮は琅邪で生まれ、襄陽の隆中で晴耕雨読の生活を送っていたが、
常に自らを管仲・楽毅に比して、管仲の如き名宰相と楽毅の如き武略を得んと大志を
抱いていた。
備、士を司馬徽(シバキ)に訪(と)ふ。
(ある時、)劉備は司馬徽を訪ねて、この地に人物はいないかを問うた。
徽曰く、時務を識る者は俊傑に在り。
司馬徽が言いました、この時局に当って成すべきことを識る物は俊傑しかいない。
此の間自ずから伏龍・鳳雛有り。
この地方において俊傑と呼べるのは伏龍と鳳雛であろう。
諸葛孔明、龐士元(ホウシゲン)なり、と。
諸葛孔明(伏龍)、龐士元(鳳雛)なり、と。
徐庶(ジョショ)も亦た備に謂ひて曰く、
(諸葛亮の親友であった)徐庶もまた劉備に教えて云った。
諸葛孔明は臥龍なり、と。
諸葛亮は臥龍(まだ飛び上がっていない龍のような人物)である、と。
備、三たび往きて乃ち亮に見(まみえ)るを得、策を問ふ。
劉備は三顧の礼を尽して諸葛亮と会見し、その策を問うた。