高い身分にありながらも倹約に努め、職務に励むこと。人の上に立つ人のあるべき姿を説いた言葉です。
晏嬰(アンエイ:? ~B.C.500年)は、中国春秋時代の斉の宰相です。誰、憚ることなく諫言を行ないました。名宰相として評価が高く、その私心のない姿は斉の民衆から絶大な人気を得たようです。
『史記』において司馬遷は「晏子の御者になりたい」とまで語っていました。
曾子曰、 晏子可謂知禮也已、恭敬之有焉。
曾子(ソウシ)曰く、 晏子は礼を知ると謂ふ可(べ)きのみ、恭敬(キョウケイ)之れ有り、と。
曾子が言った。 齊の晏子は礼を心得ている、と言って宜しいでしょう。
恭敬の心が備わっていますから。
有若曰、晏子一狐裘三十年、遣車一乘、及墓而反。
有若(ユウジャク)曰く、晏子は一狐裘三十年、遣車(ケンシャ)一乗、墓に及びて反(かへ)る。
しかし有若は言いました、晏子は、ただ一着の皮衣で三十年を通し
父の葬式には従車一台を使うだけで、埋葬を終えるとすぐに家に帰った。
國君七个、遣車七乘。
国君は七个(シチカイ)、遣車七乗。
国君は供物の包みが七個で、車は七台。
大夫五个、遣車五乘。
大夫は五个、遣車五乗
大夫は供物の包みが五個で、車は五台という定めである。
晏子焉知禮。
晏子、焉(いづ)くんぞ礼を知らん、と。
晏子は(倹約というのみで)どうして礼を知るといえようか。
曾子曰、國無道、君子恥盈禮焉。
曾子曰く、国に道無ければ、君子は礼を盈(みた)すを恥づ。
すると曾子は言いました、国に正道の行われていないときは、
君子は事において充分礼儀を行うことを恥じるものである。
國奢、則示之以儉。
国、奢(おご)れば、則ち之に示すに倹を以てす。
国の人々に奢侈の風があるときは、君子は倹約の模範を見せ、
國儉、則示之以禮。
国、倹なれば、則ち之に示すに礼を以てす、と。
国の人々が一般に倹約であるときに、君子は礼儀を行って見せるのです。