【兵(いくさ)を弭(や)める会議】を言います。
【弭】は、弓+耳 から作られた会意文字です。弓の耳の意味で弓の両端の弦をかける部分、ゆはずの意味を表します。転じて「やめる」の意味を表します。
古代中国の春秋戦国時代での出来事です。
B.C.770年 幽王(ユウオウ)が犬戎(ケンジュウ)に殺され西周が滅びました。
都を洛邑(ラクユウ)に移して、以後を東周としました。
東周のB.C.770年~B.C.403年を春秋時代と言います。
B.C.403年~B.C.221年を戦国時代と言います
B.C.707年 繻葛(ジュカツ)の戦い
B.C.645年 韓原(カンゲン)の戦い
B.C.638年 泓水(オウスイ)の戦い
B.C.632年 城濮(ジョウボク)の戦い
B.C.597年 邲(ヒツ)の戦い
B.C.575年 鄢陵(エンリョウ)の戦い
B.C.546年 宋の左師・向戌(ショウジュツ)は晋の趙武(チョウブ)とも楚の令尹・子木(シボク)とも
仲がよかったため、諸侯の戦争を中止させるために奔走し、
晋(シン)・楚(ソ)・宋(ソウ)・魯(ロ)・鄭(テイ)・蔡(サイ)・陳(チン)・許(キョ)・曹(ソウ)・衛(エイ)の諸国の間に【弭兵の会盟】を結ばさせ和平を実現しました。
『春秋左氏伝』襄公二十七年(B.C.546年)のところに各国間での交渉の経緯が記載されています。
この和睦のおかげで、中原はしばらくの間、平和な時代が訪れたのでした。
しかしB.C.403年に晋が韓・魏・趙の3國に分かれたことがきっかけで、
また戦国の時代に突入しました。