明るくて気持ちがよく、心が広くて小さなことに拘らない人柄を言います。
【明快】は、①明るくて気持ちの良い人柄を言います。②はっきりしていることで、思想・議論などに
言います。
【闊達】は、心が広く、小事に齷齪(アクセク)しないことを言います。
紀元前の480年代、孔子65歳ころ何度目かに衛を訪れたとき、子路を推挙して衛の国に仕えさせました。
中島敦『弟子』の14章で子路が衛の国に受け入れられていく様子が描かれています。
蒲に着くと子路はまず土地の有力者、反抗分子等を呼び、これと腹蔵なく語り合った。
手なずけようとの手段ではない。
孔子の常に言う「教えずして刑することの不可」を知るが故に、まず彼等に己の意の在る所を明かしたのである。気取の無い率直さが荒っぽい土地の人気に投じたらしい。
壮士連はことごとく子路の【明快闊達】に推服した。
それにこの頃になると、既に子路の名は孔門随一の快男児として天下に響いていた。
片言もって獄を折むべきものは、それ由か、などという孔子の推奨の辞までが、大袈裟な
尾鰭をつけて普く知れ渡っていたのである。
蒲の壮士連を推服せしめたものは、一つには確かにこうした評判でもあった。
この7、8年後、衛で王位をめぐる内乱が起き、子路は事態にまきこまれて死去してしまいます。子路の遺体が塩漬けにされたと聞いた孔子は、家中の塩漬の肉を捨てさせたそうです。