役に立たないと思っているものが、実は役に立っていると言うことを表している四字熟語です。
『老子・11章』に出てます。
三十輻(プク)一轂(コク)を共にす。その無に当たりて、車の用あり。
三十の矢(自転車の車輪のスポーク)が放射状に集まって、車輪の中心部(パイプ状の軸)に固定
される。そこ(パイプ状の軸)に無(空間)があるから、車輪の働きをする。
埴(ショク)を埏(こ)ねて以て器を為(つく)る。その無に当たりて、器の用あり。
土をこねて、それで器を作る。その器に無(空間)があるから、器としての用をなすのであって、中が
つまっていたら、物を入れることが出来ない。
戸牖(コユウ)を鑿(うが)ちてもって室(シツ)を為(つく)る。その無に当たりて、室の用あり。
壁に穴をあけて戸や窓をつくり、それで以って、部屋ができる。部屋の中に無(空間)があってこそ、
部屋の用を為す。物がギッシリ詰まっていたら、住むことが出来ないし部屋の用を為さない。
故に有の以て利をなすは、無の以て用をなせばなり。
だから、或るものが役に立つというのは、形があってその中が空っぽになっている状態だから
役に立つのである。
【無用之用】は、空っぽであったり、空洞であったりすることが役に立つんだ、と言うことのようです。
似たような言葉の【無知の知】はソクラテスが言ったそうです。
ソクラテスは「知らない」と言う点では他人と変わらないが「知らないことに自分は気がついている」と言う点で他人とはちがうと考えたんじゃないでしょうか。 多分これが「無知の知」だと思うんです。
『論語・為政』に【無知の知】と似たような文章があります。孔子と子路の問答の中です。
孔子 『子路よ、お前に物事を知ると言う事を教えてやろう。
それは、知っていることは知っていると言うし、知らないことは知らないと言うことだ』
子路 『・・・・・・?』
三人の生没は老子(生没年未詳)、孔子(B.C.552~B.C.479)、ソクラテス(B.C.470~B.C.399)の順です。