身分や地位が低くても才能さえあれば認められることの喩えです。身分地位と言うのは古代中国春秋時代でのことです。
才能さえあればなんとでもなる。
『論語』雍也篇で、孔子が弟子の仲弓(チュウキュウ)を励ましているところです。
仲弓は「徳行の人」として、孔門十哲の一人に挙げられる程の大人物ですが、父親は卑しい身分であり、且つ品行も宜しくなかったようです。
又、当時は家柄・血筋によって殆ど身分が決まってしまう社会でしたから、周囲も仲弓を卑しい身分の子としてしか見ていなかったようです。
悩んでいた仲弓を孔子は励まします。
才能があれば、チャンとお天道様が見ているから、大丈夫だ。くよくよしないで頑張りなさい。
子謂仲弓曰、
子、仲弓を謂いて曰わく、
孔子が仲弓にいいました、
犂牛之子、
犂牛(リギュウ)の子、
たとえまだら牛(雑種)の子であっても
騂且角、
騂(あか)くして且(か)つ角あらば、
赤毛で立派な角があれば、
雖欲勿用、
用うること勿(な)からんと欲すと雖(いえど)も、
人が祭の犠牲(いけにえ)に用いなくとも
山川其舍諸。
山川(サンセン)其れ諸(これ)を舍(す)てんや。
山川の神々が放っておく筈がない。