日々のありふれた平凡な物事のたとえです。
毎日の食事のように、ごくありふれた様子を言います。
同義語としまして【家常茶飯:カジョウサハン】があります。道元の『正法眼蔵:ショウボウゲンゾウ』溪聲山色(ケイセイサンショク)にでています。
尋師訪道するに、梯山航海あるなり。
師を尋ねて行くには、山に梯(はしごをかけてのぼ)り、海を航(わた)らなければならない。
導師をたづね知識をねがふには、従天降下なり、従地湧出なり。
導師を尋ね知識を求めるならば、天から降下することもあろう、地から湧出することもあろう。
その接渠のところに、有情に道取せしめ、無情に道取せしむるに、
導師のところで、有情に理解させ、無情に理解させる。
身処にきき、心処にきく。
身体で聞き、心で聞く。
若(ニャク)将(ショウ)耳(ニ)聴(チョウ)は家常の茶飯なりといへども、
耳で説法を聞くのは、家常の茶飯事であるが、
眼(ゲン)処(ショ)聞(モン)声(ショウ)これ何必(カヒツ)不必(フヒツ)なり。
眼で説法を聞くことは、出来る人と出来ない人がいる。
今日は立春から数えて八十八夜です。