世の移り変わりの、無常なことのたとえ。を言った言葉です。
【飛花】は、春に咲く花が無情なる風に吹かれて散ることです。
【落葉】は、夏の青葉もやがて枯れ落ちてしまうことを言います。
春咲く花もやがては散り、生き生きとしていた青葉も秋には枯れ落ちるということから、四字熟語としての
【飛花落葉】は、人生のはかなさや、世の無常であることの喩えとして使われています。
古くは室町時代に成立したと云われている『小町草紙』に見えます。
古の衣通姫(そとほりびめ)の流れとも申し、観音の化身とも申し、かりにこの世に生むまれ
給ひて、うあく、むあく、衆生の迷ひ深き、女人あまりに心もなきものの、あはれをも知らず、
仏をも礼せず、神を拝まずして、いたづらに月日を送り給ふことを悲しび、色好みの遊女と
生むまれ、【飛花落葉】の世の中、一度は栄え、一度は衰ふ、妙なる花の散りはてて、
苔の下に朽はつる有様を見せ、万心に任せぬ言の葉を、空ゆく月の曇りなき夜も、
時雨の空の立ち迷ひて障となれるをも、これにてながめ、これにつけても、歌の姿、人丸の歌にも、
ほのぼのと明石の浦の朝霧あさぎりに島隠れ行く舟をしぞ思ふ。
明治では、漱石先生の『吾輩は猫である』の第2章に使われています。大正13年版『漱石全集』岩波書店
では正字體で総ルビです。
冷笑なさってはいけません、極眞面目な話なんですから……兎に角あの婦人が急にそんな病氣になった
事を考へると、實に【飛花落葉】の感慨で胸が一杯になって總身の活氣が一度にストライキを起した樣に
元氣がにはかに滅入って仕舞ひまして、只蹌々(ソウソウ)として踉々(ロウロウ)という形で吾妻橋へ
きかかったのです。
欄干に倚って下を見ると滿潮か干潮か分りませんが、黑い水がかたまって只動いて居る樣に見えます。
花川戸の方から人力車が一臺馳けて來て橋の上を通りました。
其提燈の火を見送って居ると、だんだん小くなって札幌ビールの處で消えました。