才知にあふれた、弁舌を巧みに操ることができることを表した四字熟語です。
中島敦『弟子』十二章にでている四字熟語ですが、中島敦が著作をしていた時は正字体(康煕字典体)が使われていました。ですから【才弁縦横】は【才辯縦横】でした。
辯舌(ベンゼツ)、辨別(ベンベツ)、花瓣(カベン)、それぞれの「ベン」を「弁」に変えてしまいました。
音が類似して字形が簡単だからという理由らしいのです。
本来、「弁」は、両手で冠をかぶっている形を文字化した象形文字です。意味は「かんむり」です。
【縦】【横】も、わずかな違いですが【縱】【橫】が正字体(康煕字典体)です。
『弟子』は孔子の弟子:子路(シロ)が主人公の小説です。
子路が、孔子の弟子となってから衛の政変で死ぬまでの話です。
直情径行な性格と儒学との差に悩み、苦しみ、学ぶ子路の姿が、リアルに描かれています。
宋から陳に向かう船上で、共に弁舌に優れている弟子の子貢(シコウ)と宰予(サイヨ)が
議論をしているのを、子路が聞いていて
何を言ってるんだと、傍で子路が苦い顏をする。
口先ばかりで腹の無い奴等め! 今この舟がひっくり返りでもしたら、奴等はどんなに
眞蒼(まっさお)な顏をするだろう。
何といってもいったん有事の際に、實際に夫子の役に立ち得るのはおれなのだ。
【才辯縱橫】の若い二人を前にして、巧言は德を紊(みだ)るという言葉を考え、
矜(ほこ)らかに我が胸中一片の冰心(ヒョウシン)を恃(たの)むのである。
衛の政変で子路が亡くなったこと聞いた孔子の心情で結びとしています。
老聖人は【佇立瞑目:チョリツメイモク】することしばし、やがて潸然として涙下った。
子路の屍(しかばね)が醢(ししびしお)にされたと聞くや、
家中の塩漬類をことごとく捨てさせ、爾後(ジゴ)、醢は一切食膳に上さなかったと
いうことである。