人の道をはなはだしく、踏み外した行為をいいます。
B.C.206~B.C.202 を 項羽と劉邦の戦い、楚漢戦争とも言われています。その戦いの中で、劉邦が項羽を非難した『十の大罪』の中で【大逆無道】の記述があります。
年表風に書き出してみます。
B.C.206年 劉邦が秦の酷法を廃棄し、約『法三章』を定める。 【今日の四字熟語 No.96】参照
有名な『鴻門の会』が行われました。
韓信が項羽のもとを去り、劉邦に帰順。 『韓信の股くぐり』。
B.C.205年 項羽が義帝を弑殺(シサツ。シイサツ)。
B.C.203年 戦いの最中、項羽は劉邦と一騎打ちを望みましたが、劉邦は項羽の「十の大罪」を並べ立てて
拒否しました。その「十の大罪」というのが、この①~⑩です。
①の罪:約束に背いてわたし(劉邦)を蜀漢の王とした。
②の罪:そなた(項羽)はいつわって卿子冠軍(ケイシカングン)を殺した
③の罪:諸侯の兵を脅かして関中に入った
④の罪:秦に入って私的に財物を没収した
⑤の罪:秦の降王子嬰を殺した
⑥の罪:いつわって秦の子弟20万を阬(あなうめ)にした
⑦の罪:臣下が、もとの君主に反逆するようにしむけた
⑧の罪:義帝を放逐して、梁、楚の王になった
⑨の罪:義帝を江南で弑殺させた
⑩の罪:主の義帝を弑殺させ、降服した秦王を殺し、政治に不公平、同盟を破り信頼が置けない。これは天下の
認めざるところであり、大逆無道である。
B.C.202年 劉邦、項羽を垓下(ガイカ)に囲む。
『四面楚歌:虞や虞や若(なんじ)を奈何(いかん)せん』。【今日の四字熟語 No.20】参照
劉邦が天下を統一し皇帝の位に就きました。
項羽の武将季布(キフ)が許されて郎中(ロウチュウ)に任じられました。
【今日の四字熟語 No.99】参照