春秋時代の中期、B.C.597年中原の『晋』と南方の『楚』との間で戦われた「邲(ヒツ)の戦い」での一齣(ひとこま)に【河漁腹疾】を交えた会話があります。
川魚の腐敗は、お腹の中から始まる、ということを踏まえて、國にとって内憂外患を防ぐ方策がなければ、川魚が腹疾にかかるように、國はおのずから大敗するという意味で使われています。
『春秋左氏伝』宣公12年夏6月、楚が蕭(ショウ)という國を攻めて全滅させてしまいます。
その前日、蕭の大夫:還無社(カンムシャ)が、知り合いで楚の大夫になっていた申叔展(シンシュクテン)にコッソリと会いに来てもらいました。
申叔展、曰く、麥麴(バクキク)有るか、と。
申叔展が(還無社に向かって)言いました、麥のもやし(内乱を防ぐ方策)は有るか、と。
曰く、無し、と。
無い、と答えました。
山鞠窮(サンキクキュウ)有るか、と。
山鞠窮という薬草(外患を防ぐ方策)は有るか、と。
曰く、無し、と。
無い、と答えました。
河漁の腹疾を奈何(いかん)せん、と。
河漁の腹疾(國が大敗すること)をどうするのか。
翌日、蕭(ショウ)の國は全滅してしまいますが、還無社は申叔展のお陰で無事救出されました。