袖(そで)の中に手を入れて、何もしないでそばで見ていることを表した四字熟語です。
大事な時に、当然何かをしないといけないのに、何もしないでいることを批判を込めて用いられることが多い言葉です。
【袖手】は、袖の中に手を入れることで、「手をこまねく」という意味になりまして【拱手:キョウシュ】とも言います。【袖手傍観】の同義の四字熟語が【拱手傍観】です。
【傍観】は、傍らでただ見ているだけという意味です。【旁観】とも書きます。
中唐の詩人で唐宋八大家〔韓愈・柳宗元・歐陽脩・曾鞏(ソウキョウ)・王安石・蘇洵(ソジュン)・蘇軾・蘇轍〕と言われている、韓愈(カンユ:768年~824年)が亡くなった柳宗元(リュウソウゲン:773年~819年)にたいして『祭柳子厚文:柳子厚(リュウシコウを祭る文』を作りました。
254字の長文です。【袖手傍観】の四字熟語そのものではありませんが、その意味で表現しているところがありますので、その前後を記載します。
不善爲斲、血指汗顔。
善(よ)く斲(けず)ることを為さざるのは、指を血にし、顔を汗にす。
未熟な大工が木を削ると、指から血を出し、額から汗を出している。
巧匠旁觀、縮手袖閒。
巧匠(コウショウ) 旁観して、手を袖間(シュウカン)に縮む。
手馴れた大工は為すこと無く傍でそれを見て、手を袖に入れている。
子之文章、而不用世、
子の文章にして、世に用いられず、
君の文章が世に用いらずに
乃令吾徒、嘗帝之制。
乃ち吾が徒をして、帝の制を掌(つかさど)らしむ。
(不才な)私のような者が、天子の詔(みことのり)を起草させられている。
子之視人、自以無前。
子の人を視ること、自ら前無しと以(おも)う。
君が人を視て、自分より前に出ている者は居ないと思っていた。
一斥不復。
一たび斥(しりぞ)けられて復(かえ)らず。
一たび流され、復帰することができなくなると、
羣飛刺天。
群飛するもの天を刺す。
群れをなして(小鳥たちが)天を飛びまわっている。