旧恩を忘れずにいることの喩です。
【綈袍:テイホウ】は、厚い絹の綿入れで、褞袍(どてら)のようなものです。
【戀戀(恋恋)】は情の深いことを表します。
『史記』范雎(ハンショ)伝の要約です。長文ですが読んでみてください、ドラマチックで面白いですよ。
范雎(ハンショ)は魏の大夫・須賈(シュカ)に仕え、須賈の供として斉へ赴きました。
斉の襄王が范雎の優れた弁舌に感心し、金十斤と牛・酒を送ってきましたが、范雎は丁重に
断りました。
須賈はこれを邪推し、宰相の魏斉(ギセイ)へ顚末を報告、魏斉は怒って范雎を
竹の板で何度も打ち、簀巻きにして厠(かわや)へ投げ込みました。
范雎は番人に、助け出してもらい、番人は魏斉に「死体を捨ててきた」と嘘の報告をしました。
范雎は、張禄(チョウロク)と名を替え秦に逃げました。秦の昭襄王に対して「遠交近攻」を
説くなどして宰相になりました。
秦が韓・魏を討とうとしているとの情報を得て、魏は大夫・須賈を使いに寄こしました。
須賈が秦に来ていると知った范雎は、みすぼらしい格好をして須賈の前に現れました。須賈は
范雎が生きていたのを驚き、「どうしているのか」と聞きました。
范雎は「人に雇われて労役をしている」と答えました。
范雎のみすぼらしさを哀れんだ須賈は【綈袍:テイホウ】を范雎に与え、「秦で宰相になっている
張禄という人に会いたい」と告げました。范雎は自分の主人につてがあるので会わせることが
できると言い、自ら御者をして張禄の屋敷(すなわち自分の屋敷)へと入った。
先に入った范雎がいつまでも出てこないので、須賈は門番に「范雎はどうしたか」と聞くと、
「あのお方は宰相の張さまである」との返事が返ってきました。
驚愕した須賈は大慌てで范雎に平伏し、過去の事を誤りました。范雎は須賈から受けた仕打ちを
非難しましたが、
公の死する無きを得る所以は、
お前が死なないでいられるのは、
【綈袍戀戀:テイホウレンレン】として、
絹の肌着を与えて私を思いやり、
故人の意(こころ)有るを以てなり。
昔なじみの友を忘れない心があったからだ。
故に公を釋(ゆる)す。
よってお前を許す。