【恩に報い徳に謝す】と訓読みされまして、受けた恩や徳にむくい、感謝の気持ちを持つことです。
【報】は、幸と卩と又から作られた会意文字です。
幸は、手枷(てかせ)の形です。
卩は、ひざまずいている人の形です。
又は、右手の形です。
【報】の字は、両手に枷(かせ)をはめられてひざまずく人を後ろから押さえる形で、
犯した罪に対する報復刑的な処置を表した会意文字です。
【恩】は、因(音符号)+心から作られた形声文字です。意味は「めぐみ」、「いつくしみ」です。
【報恩】の意味は、恩に報いることです。
【謝】は、言+射(音符号)から作られた形声文字です。意味は、あやまる、わびる です。
【德】は、彳+省+心から作られた会意文字です。
目の呪力(まじないの力)を強めるために眉に飾りをつけ、その強い呪力のある目で
巡察(彳:行く意味)すること、見回ることを言います。
【德】は、呪力は人がもともと持っていた内面的な力であることから、德という概念が
生まれたそうです。
【謝德】は、受けた徳に対して感謝することです。
島崎藤村の『夜明け前』 第二部・下 10章2節 に【報恩謝徳】がでています。
もとより神仏を敬する法は、みな報恩と謝徳とをもってする。これを信心と言う。
自分の身に利得を求めようとするのは、皆欲情である。
【報恩謝徳】の厚志があらば、神明の加護もあろう。仏といえども、道理に違(たが)うこと
のあるべきはずがない。
自分らには現世(ゲンセ)を安穏にする欲情もなければ、後生(ゴセ)に善処する欲情もない。
天賦の身は天に任せ、正を行ない邪に組せず、現世後生は敵なく、神理を常として真心を尽く
すを楽しみとするのみだから、すこしも片手落ちなどの欲念邪意があることはない。
これが松雲和尚の包み隠しのないところであった。