【過ちを観て、仁を知る】と訓読みされます。
過ちの仕方や、それの処理の仕方を観(み)れば、その人の人間性や程度がわかる。という意味です。
『論語』里仁篇を出典としています。
子曰、人之過也、各於其黨。
子日く、人の過ちや、各々其の党(トウ)に於てす。
孔子が言いました。
(人間は社会的動物で、社会環境から離れられない。そこで諺にあるように)
人は(誰でも例外なく過ちをおかすが)過ちをおかす場合にも、
それぞれの環境に応じて(過ちの仕方が)違ってくる。
觀過斯知仁矣。
過ちを観て斯(ここ)に仁を知る。
過ち(の仕方や、それの処理の仕方)を観(み)れば、
(その人の)人間性や程度ががわかる。
人間は誰にでも過ちはある。
だから過ちを犯すのはやむを得ないことだが、問題は犯した後の処置の仕方である。
孔子が言ってます。
『論語』の中に、『過ち』に関する章がいくつかあります。
【改むるに憚ること勿かれ】。 学而第一。
【過ちて改めざるを過ちと謂う】。 衛霊公第十五
【過ちを弐(ふたた)びせず】。 雍也第六
【小人の過つや、必ず文(かざ)る】。 子張第十九
【君子の過ちは、日月の食のごとし】。 子張第十九