【日を倍して行を幷(あわ)す】と訓読されまして、昼も夜もかまわずに急いでいくことです。
「倍日」は二日分のことで、「并行」は合わせるという意味で、二日分の行程を一日で進むという意味です。
【幷】は、前後に並んで立つ二人の人を横から見た形に一または二を加えて横につなぐ形を文字化した
会意文字です。
【幷】を音符号としている字は、併(あわせる)、塀(へい)、餠(もち)、屛(ついたて)、胼(たこ)、
駢(ならぶ)、絣(かすり)、逬(ほとばしる)、甁(びん・かめ)などがあります。
同義の四字熟語に「昼夜兼行」、「連日連夜」があります。
『史記』孫子呉起列伝を出典としています。
孫臏(ソンビン)は孫武の子孫で、龐涓(ホウケン)とともに兵法を学びましたが、魏の将軍になった
龐涓にその才能を妬まれて足切りの刑を受けてしまいました。
齊に逃れた孫臏は、将軍田忌(デンキ)に認められ、その軍師となって献策し、
「桂陵(ケイリョウ)の戦い」で大いに魏軍を破りました。
十三年後、「馬陵(バリョウ)の戦い」で見事な計略を用いて魏軍を全滅させ、ライバル龐涓を
打ち取りました。
この戦いで孫臏の名は天下に知れ渡り、その兵法が長く伝えられました。
【倍日併行】は「馬陵の戦い」の中で、龐涓が孫臏の策略を見抜けず、追撃する場面ででてきます。
龐涓行三日、大喜、曰
龐涓行くこと三日、大いに喜びて曰く
龐涓は三日行軍して,大いに喜んで,言った、
我固知齊軍怯。
我固(もと)より齊の軍の怯(キョウ)なるを知る。
私は、もともと齊軍の臆病なのを知っている。
入吾地三日,士卒亡者過半矣。
吾が地に入りて三日、士卒の亡ぐる者、半(なか)ばに過ぐ、と。
吾が領土に入って三日間で,士卒の半分以上が逃げ去ったのだ。
乃棄其步軍,與其輕銳倍日幷行逐之。
乃(すなは)ち其の步軍を棄て、其の輕銳と日を倍し行を幷(あわ)せて之を逐(お)ふ。
こうして其の歩兵を捨て,身軽な騎兵だけをつれ、
夜を日についで一日に二日分の道のりを進み齋軍を追った。