【盗(トウ)を誨(おし)え淫(イン)を誨(おし)う】と訓読みされまして、盗みや淫らなことを教え込むことを表した四字熟語です。
【誨】は、教えることですが、さとし教える、ものごとの道理に暗い人に言葉で教えるという意味です。
【盗】は、盗むことです。 【淫】は、みだらなことです。
本来は、「物のしまい方が怠慢であれば盗みを教えるようなものであり、なまめかしい化粧姿は淫らな気持ちを誘うようなものである」という戒めの言葉です。
『易経』繋辞(ケイジ)伝上でています。
子曰。作易者、其知盜乎。
子曰く、。易を作る者は、其れ盜を知れるか。
孔子が言いました、易の作者は、たしかに盜みということの心理を知っているに違いない。
易曰、負且乘、致寇至、
易に曰く、負い且つ乘り。寇の至るを致すと。
易には、「負い且つ乘り。寇の至るを致す」とあるが、
負也者、小人之事也。乘也者、君子之器也。
負うとは、小人の事なり、乘ありとは、君子の器なり。
荷物を背負うというのは、身分の卑しい者の仕事であり、
乗り物というのは、身分の高い者の用いるものである。
小人而乘君子之器、盜思奪之矣。
小人にして君子の器に乘れば、盜これを奪わんことを思う。
身分の低い者でありながら、身分の高い者の道具である乗り物に乗れば、
(分不相応であるから)盗賊もこれを奪おうと考える。
上慢下暴、盜思伐之矣。
上慢にして下暴なれば、盜これを伐たんことを思う。
君主が放漫で臣下が横暴を働く働くようであれば、その国を盗もうとする野心家がでてくる。
慢藏誨盜、冶容誨淫。
藏(おさ)むることを慢(おろそ)かにすれば盜を誨え、、冶(あでや)かなる容(すがた)は淫を誨う。
物のしまい方が怠慢であれば盗みを教えるようなものであり、
なまめかしい化粧姿は淫らな気持ちを誘うようなものである。
易曰、負且乘、致寇至、盜之招也。
易に曰く、負い且つ乘り、寇の至る致すとは、盜をこれ招くなり。
易に「負い且つ乘り、寇の至るを致す」とは、
(盗みというものは、一人一人の)心がけでこれを招くものである。