【吾(わが)身(み)を三省(サンセイ)す】、または【三(み)たび吾(わが)身(み)を省(かえり)みる】と訓読みされまして、
毎日、自分が行なったことについて何回となく反省する、と言う意味の言葉です。
『論語』學而(ガクジ)篇の第4章の言葉です。
第1章が、学ぶことの悦び
第2章が、務本(根本を務める)の学
第3章が、巧言令色、鮮(すく)なし仁
第4章が、【三省吾身】です。
曾子曰、吾日三省吾身。
曽子曰わく、吾日に吾が身を三省す。
曽子(孔子の弟子の曽参:ソウシン)が言いました、
私は毎日いろいろと反省しています。
① 爲人謀而忠乎。
人の為に謀りて忠ならざるか、
喩えば、人の為に相談にのりながら、
いい加減にして置くようなことはなかっただろうか、
② 與朋友交言而不信乎、
朋友と交りて信ならざるか
友人とのつきあいで、信頼を裏切るようなことはなかっただろうか
③ 傳不習乎。
習わざるを伝うるか。
良く知りもしないくせに、知ったかぶりして人に伝えなかっただろうか、と。
曽子とは曽参(ソウシン)のことで、孔子の息子の鯉伯魚(リハクギョ)が早死にした為、鯉伯魚の息子であり、孔子からみますと孫にあたる子思(シシ))を預かって教育しました。
曽参は「孝経(コウキョウ)」を、子思は「中庸(チュウヨウ)」を 著わしました。