【主辱(はずかし)めらるれば臣死す】と訓読みされまして、
主君が辱めを受ければ、臣下は命をかけて報復する、と言う意味になります。
『史記』韓長孺(カンチョウジュ)傳にでている言葉です。
安國入見王而泣曰
安國、入りて王に見(まみ)えて泣いて曰く
安國は参内して王に謁見し、泣いて言った
主辱臣死。大王無良臣。
主辱(はずかし)めらるれば臣死す、と。大王、良臣無し。
主辱めらるれば臣死す。と申します。大王のもとには良臣がいないため、
故事紛紛至此。
故に事紛紛(フンプン)として此に至る。
紛糾して事態がここまで縺(もつ)れたのです。
今、詭勝不得、
今、詭勝得ず、
今、公孫詭(コウソンキ)と羊勝(ヨウショウ)はまだ捕えられておりません。
請辭賜死。
請う辭 して死を賜(たまは)らんと。
(わたしは、臣下として責任を感じ)死を賜りたいのです。
元禄15年(1702年)12月14日は赤穂浪士による吉良邸打ち入りが果たされた日です。
江戸本所松坂町にあった吉良邸の一部は現在松坂公園となっていまして、
毎年この日は元禄市が行なわれます。午前中は義士祭、午後は吉良祭が行われるそうです。