【天に則(のっと)り私を去る】と言う意味で、夏目漱石の造語です。
亡くなるひと月ほど前の木曜会で初めて「則天去私」の話が出たそうです。
漱石自身が筆で書いた【則天去私】は残されているようですが、【則天去私】そのものについて解説した文章はありません。
ですから、今日にいたるも、いろんな議論がなされているようです。
文字面だけで解釈しますと
小さな私事は捨て去り、自らを天にゆだねて生きて行く、と言うことでしょうか。
【則天】は、天地自然の法則に従うこと、
【去私】は、私心を捨て去ることです。
木曜会は、夏目漱石宅で、教え子や漱石を慕う若手文学者の集まりで、毎週木曜日に開かれたのでこの名がついたそうです。
よく集まる顔ぶれには、小宮豊隆、鈴木三重吉、森田草平、内田百閒、野上弥生子らの小説家や、寺田寅彦、阿部次郎、安倍能成、和辻哲郎などの学者。さらに芥川龍之介や久米正雄も学生時代から参加していました。
以上の面々が一般的に漱石門下とされています。
漱石は、特に弟子を取らなかったので、阿部次郎は「厳密に言えば漱石の弟子は一人もいない。所謂弟子というのは毎週木曜日に定期的に漱石の門をたたいた者のこと」と述べていました。
12月9日は『漱石忌』です。
大正4年(1915年)3月、京都へ旅行し、そこで5度目の胃潰瘍で倒れてしまいました。
6月に回顧したことから、『道草』の連載を開始。
翌:大正5年、辰野隆の結婚式に出席した後の12月9日、内出血を起こし亡くなりました。
49歳10か月の生涯でした。