苦勞している時は、髪の毛がよく伸び、樂をしている時は、爪がよく伸びる、ということです。
【苦爪樂髮:くづめらくがみ】とも言います。
苦勞したり、樂しんだりしている時は、それに気をとられて、髪が伸びようが爪が伸びようが氣にならないと言うことでしょうか。
苦樂から逸(そ)れたとき初めて気がつくのでしょうね。
島崎藤村『夜明け前』第二部 終の章 第四節に【苦髮樂爪】がでています。
「お師匠さま、わたしでございます。勝重(かつしげ)でございます。」
思いがけない弟子の訪れに、格子の内の半蔵(はんぞう)もややわれに歸ったというふうでは
あった。
【苦髮樂爪】とやら、先の日に勝重が見に來た時よりも師匠が髭の延び、髮は鶉(うづら)の
ようになって、めっきり顏色も蒼ざめていることは驚かれるばかり。
でも、師匠は全く本性を失ってはいない。ややしばらく沈默のつづいた後、
「勝重さん、わたしもこんなところへ來てしまった。わたしは、おてんとうさまも見ずに死ぬ。」
半蔵は荒い格子につかまりながらそれを言って、愛する弟子の顔をつくづくとながめた。