学識が豊富で才知に秀でていることを表した四字熟語です。
【博学】は、学問に広く通じていることです。
【才穎】は、知識が非常にすぐれていることです。
中島敦著『山月記』の出だしの文章に【博学才穎】があります。
隴西(ロウサイ)の李徴(リチョウ)は【博学才穎】、天宝の末年、若くして名を虎榜(コボウ:科挙
進士科の合格者を掲示する札)に連ね、ついで江南尉(コウナンイ)に補せられたが、性、狷介(ケン
カイ:頑固)、自ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(センリ)に甘んずるを
潔(いさぎよ)しとしなかった。
いくばくもなく官を退いた後は、故山(故郷のこと)、虢略(カクリャク)に帰臥(キガ)し、
人と交(まじわり)を絶って、ひたすら詩作に耽(ふけ)った。
下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとした
のである。
しかし、文名は容易に揚(あが)らず、生活は日を逐(お)うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に駆られ
て来た。
この頃からその容貌も峭刻(ショウコク:きびしく残忍)となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに炯々
(ケイケイ)として、曾て進士に登第した頃の豊頬(ホウキョウ)の美少年の俤(おもかげ)は、何処に
求めようもない。
数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の
職を奉ずることになった。
1901年(明治34年) ノーベル賞の第1回授賞式が行われたことを記念して、
今日、11月27日は『ノーベル賞制定記念日』となりました。