【赤繩(セキジョウ)足を繫(つな)ぐ】と訓読みされまして、結婚は天の定めにより、赤い繩で結ばれているそうです。
原本は伝わっていませんが、唐代の伝記小説『續玄怪録:ゾクゲンカイロク』のお話が元になって出来た四字熟語です。少々長いお話ですが、どんでん返しがあります。
唐のころ長安の郊外に、韋固(イコ)という青年がいました。
あちこちと旅をして、宋城(ソウジョウ)というところに来た時のことです。町角で、地べたにすわり、
そばに置いた袋にもたれかかって、しきりに書物を調べている、ふしぎな老人に会いました。
「袋の中のものはなんですか」
「赤い紐だよ。これは夫婦をつなぐ紐じゃ。ひとたびこれでつなげばな、かならず結ばれるのじゃ。」
韋固はひとり者だったので、ためしに聞いてみました
「きみの奥さんかね。この宋城にいるよ。ほれ、市場で野菜を売っているおばあさんがいるだろう。
いま抱いている赤ん坊が、きみの奥さんだよ」
老人の指さす方を見ると、片目のただれた汚い身なりの老婆が、垢で汚れたぼさぼさ髪の女の子を
抱いて野菜を売っていました。
(あぁ、あんな汚い子供が私の妻になるんだって) 韋固はひどく落胆してしまった。
(そうだ、今のうちにあの子供を殺してしまえば、別の女と取り替えてもらえるかもしれない……)
宿に帰り、旅に同行していた下男に一振りの短刀を渡して、市場で野菜を売っている老婆の娘を
殺して来るよう命じました。
翌日下男は、老婆の所に行き、隙を見て娘に切りつけましたが、市場中が大騒ぎになり、額に僅か
傷をつけただけで逃げ出しました。
それから十数年のち、上級役人の試験に合格した韋固は、安陽の役所に勤めることが出来ました。
韋固がてきぱきと仕事を片付けるのを見て、上司の長官は自分の娘を韋固に嫁がせました。
気立てが優しく美しい、十七歳の娘でした。韋固はこの妻を愛し、夫婦の仲は円満でした。
妻は流行の花飾りを額につけるのが大好きで、寝るときも、入浴のときにさえ外したことがありません。
はじめのうちは好きでつけているのだろうと思っていました。ある日、いたずら半分、造花を
もぎ取ろうとすると、妻は泣き伏して打ち明けました。
「今の親は実の親ではなく、養い親なのです。七、八年前、ここの長官の養女となりましたが、
わたくしの本当の父は宋城の県知事をしておりましたが幼い頃に父も母も亡くなりました。
わたくしの面倒は乳母だった人が見てくれ、乏しい収入で養ってくれたのでございます。
三つのとき、市場で乳母に抱かれておりますと、一人の悪者が短刀で襲い掛かり、わたくしの額に
傷をつけて逃げました。その傷跡が未だに残っておりますので、あなたのお目触りになってはと、
花飾りで隠していたのです」
韋固は、忘れていたあのときのことを思い出し、真相を話して妻に心から詫びました。
やがて二人の間に男の子が生まれました。この子は成長すると、貧乏人や虐げられた
人々の為になる政治を行い、人望を集めたということです。