子供の教育には、家の周囲の環境が重要であること。孟子の母が、子への影響を考えて住居を三カ所に移したという故事による言葉です。
『列女伝』母儀(ボギ)・鄒(スウ)孟軻(モウカ)母、にでています。
『列女伝』は前漢の劉向(リュウキョウ)によって撰せられた、女性の史伝を集めた歴史書です。
古列女傳、鄒孟軻母、其舍近墓。
古列女伝にいう、鄒(スウ)の孟軻(モウカ)の母、其の舎(シャ)墓(はか)に近し。
孟子(モウシ)が幼い頃、彼の家は墓地のすぐ近くにあった。
孟子少嬉遊、爲墓閒之事。
孟子(モウシ)少にして嬉遊(キユウ)するに、墓間の事を為す。
そのためいつも、葬式のまねごとをして遊んでいた。
孟母曰、此非吾所以居處子也。
孟母曰く、此(こ)れ吾が子を居処(キョショ)する所以(ゆえん)に非ず、と。
孟子の母は、ここはあの子が住むにはふさわしくない。
(そう考えて引っ越すことにした)。
乃去、舍市傍。其嬉戲乃賈人衒賣之事。
乃(すなわ)ち去りて、市の傍に舎す。其の嬉戯(キギ)するや乃(すなわ)ち賈人(コジン)
衒売(ゲンバイ)の事なり。
移り住んだのは市場の近く。孟子は商人と客のかけひきのまねをして遊んだ。
又曰、此非吾所以居處子也。
又曰く、此れ吾が子を居処する所以に非ず、と。
孟子の母は言った。ここもあの子が住むにはよくない。
復徙舍學官之旁。其嬉戲乃設爼豆、揖讓進退。
復徙りて舍學官の旁に。其の嬉戯するや、乃ち俎豆(ソトウ)を設け、揖譲(ユウジョウ)進退す
再び引っ越して、今度は学校の近くに住んだ。孟子は、祭礼の儀式や礼儀作法の
真似事をして遊ぶようになった。
孟母曰、眞可以居吾子矣。遂居。
孟母曰く、真に以て吾が子を居く可し、と。遂に居る。
孟子の母はここがわが子のための住居だと言って、腰を落着けることにした。
11月20日は『世界のこどもの日』だそうです。
1954(昭和29)年の国連総会で制定され、 各国がそれぞれに適当と考える日を「世界こどもの日」に選んで記念するよう提案されており、日本では、1959年に「児童権利宣言」が、1989年に「児童権利条約」が採択された11月20日を当てています。