【一日中 読書をすること】ですが、志が立っていなければ、それは無駄な読書である。
佐藤一齋先生、厳しい。趣味は読書です、だけではダメみたいです。
『言志録』全246條のなかの第32條です。
一斎先生42歳(文化10年:1813年)から53歳(文政7年:1824年)までの執筆に
よるものです。
緊立此志以求之、雖搬薪運水、亦是学所在。
緊(きび)しく此の志を立てて以て之を求めば、薪(たきぎ)を搬び水を運ぶと
雖(いえど)も、亦(また)是れ学の在(あ)る所なり。
志を立て、これを求めれば、たとえ、薪を運び、水を運んでも、
そこに学問の道はあって、真理を自得することができるものだ。
況読書窮理乎。
況(いわん)や書を読み理を窮(きわ)むるをや。
まして、書物を読み、物事の道理を窮めようと専念するからには、
目的を達成ないはずはない
志之弗立、終日従事読書、亦唯是閑事耳。
志の立たざれば、終日読書に従事するとも、亦(また)唯だ是れ閑事(カンジ)のみ。
しかし、志が立っていなければ、一日中本を読んでいても、
それはむだ事に過ぎない。
故為学莫尚於立志。
故に学を為すは志を立つるより尚(かみ)なるは莫(な)し。
だから、学問をして、聖賢になろうとするには、
志を立てるより大切なことはない。