訓読みしますと【長短、我に在り】となります。
一年が長く感じるか、短く感じるかは主観的なものである、という意味です。
好きなことをしている時は、一年もあっという間に過ぎてしまい、ダラダラ過ごしていると一年の何と長いことか。
佐藤一齋先生、80歳~82歳の言行録であります『言志耋録:テツロク』139条に記載のある一文です。
怠惰(タイダ)の冬日(トウジツ)は、何ぞ其の長きや。
怠けて過ごしている時には、短い冬の日でもなんと長いのだろうと感じる。
勉強の夏日は、何ぞ其の短きや。
勉強している時は、長い夏の日でもなんと短いのだろうと感じる。
長短は我れに在りて、日に在らず。
つまり長い短いは、自分の主観にあるのであって、日にあるのではない。
待つ有るの一年は、何ぞ其の久(ひさ)しきや。
また、何か待つことのある一年は、何と長いことだろうか。
待たざるの一年は、何ぞ其の速(すみや)かなるや。
何も待つことのない一年は、何と速いことだろうか。
久速(キュウソク)は心に在りて、年(とし)に在らず。
この長いとか、速いとかは、心すなはち主観にあるのであって、年そのものにはない。