【(サイ)難(かた)しの歎(なげ)き】と訓読みされまして、有能な人材は得難いものである、と歎いている言葉です。
出典は『論語』泰伯篇です。
舜(シュン)、臣(シン)五人有りて、天下治まる。
舜には下臣が五人いて、それで天下がよく治まっていた。
武王日く、予に乱臣十人有り。
周の武王は、自分には正字を任せる十人の下臣がいると云った。
孔子日く、才難しと、其れ然らざらんや。
孔子が言いました。人材を得ることは難しいと云うが、まったくその通りだ。
唐虞(トウグ)の際(サイ)、斯(こ)れより盛なりと為(な)す。
堯・舜の治めた唐・虞の時代は、周の武王の頃より栄えていたというが、
賢臣たった五人でよく治まっていたと云う。
婦人有り。九人(クニン)のみ。
(武王の時の十人は)婦人一人と男性九人である。
天下を三分して其の二を有(たも)ち、以て殷に服事す。
天下の三分の二を支配下に置きつつも、殷に対して臣下の礼をとって服従していた。
周の徳は、其れ至徳と謂うべきのみ。
周のこの謙虚さは至徳と云ってよかろう。
それに比べて今の世は、と孔子が【才難の歎き】を漏らしました。
2500年後のわが日本、3日前 内閣改造が行われました。主要9閣僚留任でした。