自分に本来備わった心性にめざめることを表した四字熟語です。
【見性:ケンショウ】は、仏教語で悟りを開くことを意味する語です。悟りまでいかなくとも『本来の自分』というところでしょうか。それを自ら知ることが【見性自覚】となります。
【性】は漢音読みが「セイ」です。「ショウ」というのは呉音読みです。
夏目漱石『吾輩は猫である』の第九節に使われています。
それから主人は鼻の膏(あぶら)を塗抹(トマツ)した指頭(シトウ)を転じてぐいと
右眼(ウガン)の下瞼(したまぶた)を裏返して、俗に云う『べっかんこう』を見事に
やって退(の)けた。
あばたを研究しているのか、鏡と睨(にら)め競(くら)をしているのかその辺は少々
不明である。気の多い主人の事だから見ているうちにいろいろになると見える。
それどころではない。もし善意をもって蒟蒻問答(コンニャクモンドウ)的に解釈して
やれば主人は【見性自覚】の方便(ホウベン)としてかように鏡を相手にいろいろな仕草
(シぐさ)を演じているのかも知れない。