一時的な心配のことを言います。
【一朝】は、わずかな時間をいいます。
【患】は、うれい、心配ごとをいいます。
『孟子』離婁(リロウ)篇の下にでています。
孟子が言いました。
ちゃんとした大人が普通の人と異なるところは何かといえば、その心をいつも反省しているからである。ちゃんとした大人は常に仁と礼との徳を修めて、その心を反省している。
仁の人は、他人を愛するし。礼を身に付けた人は、人を尊敬することができる。
そして人を愛する者は、人からも愛される。また人を尊敬する者は、人からも尊敬される。
だが、ここに人がいるとする。その人が自分に対して無茶苦茶を仕掛けてきたとする。
ここでちゃんとした大人ならば必ず自ら反省する、
『きっと自分に非があるのだろう。そうでなければ、ここまでひどい無茶を受けるはずがない』
でも自ら反省して仁も礼も申し分なく行ったのに、まだ相手が自分に無理なことを、言ったり
したりすると、
ちゃんとした大人ならば必ずもう一度反省する、
『私に先方への誠意がまだ足りないからだろう』と。
だがいくら反省して誠意を尽してみても、それでもまだ相手が自分に無礼を働くならば、
ここに至ってちゃんとした大人は、
『こいつはただのばか者だ。鳥や獣と同じだ。こんな奴に説教しても無駄なことよ』と。
是故君子有終身之、無一朝之患也。
是の故に君子は終身の憂あるも、一朝の患なきなり。
この為、ちゃんとした大人は、終生の心配事はあるが、
ある日起きた一時的な心配ごとというものはない。