チョット飲み、チョット口にする、ささやかな飲食の意味です。鳥がくちばしでつつくようすから、
人が、おのれの分に安んじて多くを求めず、欲望に任せた生き方をしないで自然に任せた生き方をすることを勧めた四字熟語です。
『荘子』養生主(ヨウセイシュ)を出典とした四字熟語です。
公文軒(コウブンケン)、右師(ユウシ)を見て驚きて曰く、是(こ)れ何人(なんびと)ぞや。
悪(なん)ぞや介(カイ)なる。天なるか、其(そ)れ人なるかと。
公文軒は、(足切りの刑にあった)右師(ユウシ)の姿を見ると驚いていった、
まあ、何という人間だ。どうして一本足なんかになったんだ。天のせいかね、それとも人の
せいかね。
曰わく、天なり、人には非(あら)ざるなり。天の是(こ)れを生ずるや独(ドク)ならしむ。
人の貌(かたち)は与(なら)ぶあり。是(こ)れを以て、其(そ)の天にして人に非ざることを
知ると。
右師は答えた。天によるのだ。人によるのではない。天がこのわしを一本足に生んだのだ。
人間の形というものは(だれでも)二本の足があるものだ。このことからわしの一本足が
天のせいであって、人によるものではないことがわかるわけだ。
沢雉(タクチ)は十歩に一啄(イッタク)し、百歩に一飲(イチイン)するも、樊中(バンチュウ)に
畜(やしな)わるるを蘄(もと)めず。
沢べの野生の雉(きじ)は、十歩あゆんでやっとわずかの餌にありつき、百歩あゆんで
やっとわずかの水を飲むのだが、それでも籠(かご)のなかで養われることを求めはしない。
神は王なりと雖も善(たのし)まざればなり。
(籠の中では、餌はじゅうぶんで)気力は盛んになろうが、心楽しくないからだ。