【豆を煮るに萁(まめがら)を燃やす】と訓読みされまして、兄弟の仲が悪いことの喩えです。
【燃える萁】を兄にたとえ、【釜の中で泣く豆】を弟に譬えたものです。
『世説新語』に、魏の曹操の息子である、兄の文帝曹丕(ソウヒ)と弟の東亜王曹植(ソウショク)の確執が述べられています。
文帝嘗令東阿王 七步中作詩、
文帝、嘗(かっ)て東阿王(トウアオウ)をして七步の中に詩を作らしめ、
文帝、あるとき東阿王に七步の中に詩を作れと命じ、
不成者行大法。應聲便為詩曰、
成(な)らざれば大法(ダイホウ)を行はんとす。聲に應じて便(すなは)ち詩を為(つく)りて曰く
もし出来なければ極刑にするといった。東阿王はすぐ詩を作った。
煮豆持作羹、
豆を煮て持って羹(あつもの)と作(な)し、
豆を煮て羹とし、
漉豉以為汁、
豉(シ)を漉(こ)して以って汁と為す。
豉(みそ)を漉して汁とする。
萁在釜下然、
萁(まめがら)は釜下(フカ)に在って然え、
萁は釜の下で然え、
豆在釜中泣
豆は釜中(フチュウ)に在って泣く。
豆は釜の中で泣いている。
本自同根生
本(も)と同根(ドウコン)より生じたるに
もとは同じ根から生まれたものを、
相煎何太急、
相(あひ)煎(い))ること何ぞ太(はなは)だ急なる、と。
どうしてそんなに煎りつける。
帝深有慚色。
帝深く慚づる色有り。
文帝は深くはじる様子があった。
兄文帝は深くはじる様子があったようですが、結局兄弟仲は回復せず、弟曹植は無念のまま232年11月28日、41歳で死去しました。