「衆寡敵せず」と訓読みされることが多いです。「衆寡」は、多数と少数、「不敵」は相手が強すぎて敵として戦えない、話にならんと言う意味です。
「衆」はおおい、もろびと、もろもろの意味を持った字です。甲骨文字では、日+「人が三人」で、「日」は、村落の意味。 「人が三人」は、多くの人の意味。村落に集まる多くの人の意味を表す字として作られました。「日」は金文(殷周時代主に青銅器の内側に鋳造された文字)から「目」になり、のちに「血」に変形しました。
「寡」はやもめ、すくないの意味を持った字です。「宀+頁+人」の会意文字です。家の中で、亡くなった夫を偲んでいる女性を表す字、やもめを表す字として作られ、後に少ないと言う意味にも使われるようになりました。参考までに、妻を亡くした男性を表す字は「鰥:カン。やもお」です。
ついでですが、親を亡くした子が「孤:コ」、ひとり身の老人が「独:ドク」です。
【衆寡敵せず】としましては、
古くは『孟子・梁惠王章句上』に出てきます。
梁の惠王が戰のことについて孟子と問答をしていた時に「鄒:スウ」という小さな国と、大国の「楚:ソ」が戦ったらどうなるかを例えに孟子が惠王に
「小は大にはかないません。寡は衆にはかないません。弱は強にはかないません。今天下に大国が九つあります。梁はその中の一つです。たった一つで八つを征服しようとするのは「鄒」が「楚」を相手に戰するのと、何の違いがありましょう」 と、
説明しました。
『三国志・魏志張範(チョウハン)伝』には
「いま卓を誅せんと欲するも、衆寡敵せず」という記述があります。
卓は董卓(トウタク)のことで、後漢末、霊帝の死後、献帝をたてて権力を握りましたが呂布(リョフ)に滅ぼされてしまいます。