【冠】は成人式、【婚】は婚礼、【葬】は葬儀、【祭】は祖先の祭礼のことを示していましたが、現在では慶弔一般をいうようです。
大昔、『礼記』礼運(ライウン)では、国の政治を正しく行なわせる儀礼であったことが記載されていますし、これらの儀礼を弁えないようなら、速やかに死なねばなるまい。とまで書かれています。
詩曰、相鼠有體、人而無禮。
詩經に曰く、鼠を相(み)るに體(タイ)有り、人にして禮(レイ)無からんや。
詩経に、鼠も五体を供えているが、礼を知らない。
(人が礼を知らなければ、五体を備えていても、鼠に等しい)
人にして礼を弁えなくてよかろうか。
人而無禮、胡不遄死。
人にして禮無くんば、胡(なん)ぞ遄(すみやか)に死せざる、と。
人にして礼を弁えないなら、速やかに死なねばなるまい、とある。
是故夫禮、必本於天、殽於地、列於鬼神、
是(こ)の故に、夫(か)の禮は必ず天に本づき、地に殽(なら)ひ、鬼神に列し、
即ち礼は天道に基づき、地に則り、鬼神の道に合い、
達於喪祭、射御、冠昏、朝聘。
喪祭、射御、冠昏、朝聘に達す。
吉凶の祭、射御の作法、冠婚朝聘の儀式など万般に及んでいる。
故聖人以禮示之。
故に聖人、禮を以て之に示す。
それゆえ聖人は、何事についても、みずから礼を行なって手本を示し、
故天下國家可得而正也。
故に天下國家得て正しくすべきなり、と。
これによって天下國家の政治を正しく行なわせようとするのである。