頭に盆を載せたまま天を仰ぎみることはできないことから、手段や方法が目的に適ってないことのたとえを言った言葉です。
司馬遷の『任少卿(ジンショウケイ)に報ずる書』のなかにでてきます。
任少卿(任安:ジンアン)は、司馬遷の友人と謂われている人です。
漢の武帝の太始四年(B.C.93年)、益州刺史の任安は司馬遷に手紙を出し、中書令として有能な人材の推挙に努めるべきことを説きました。
司馬遷が、返事を出し遅れているうちに、任安は罪を得て死刑を待つ身となりました。
『任少卿に報ずる書』は、そのような状況のもとで獄中の任安にあてて書かれた返書です。
チョット長いですが、【載盆望天】の前後の文もあったほうがいいかなと思いまして引用しました。
且事本末未易明也。
且つ、事の本末は未だ明らかにし易(やす)からざるなり。
そもそも事の本質は、簡単ではない
僕少負不羈之行、長無郷曲之誉。
僕少(わか)くして不羈の行いを負い、長じて郷曲の誉(ほまれ)なし。
若いころ不羈独立の気持ちでしたが、歳をとってからも名声を挙げることはできなかった。
主上幸以先人之故。使得奏薄伎。
主上、幸いに先人の故を以て薄伎(ハクギ)を奏し、
天子は、幸いに父の功績に免じて、私の非才を許され、
出入周衛之中。
周衛の中に出入するを得しむ。
侍衛の一員に加えて下さいました。
僕以為載盆何以望天。
僕、以為(おも)へらく盆を戴(いただ)けば何を以て天を望まんと。
私は考えました、頭に盆を載せていては、どうして天を望み見ることができましょう。
故絶賓客之知。亡室家之業。
故に賓客(ヒンカク)の知を絶ち、室家(シッカ)の業を亡(わす)れ
そこで、賓客たちとの交遊をことわり、家業の一切をすてて、
日夜思竭其不肖之才力。
日夜、其の不肖の才力を竭くす思い、
日夜不肖の才を尽さんことを思い、
務一心営職。以求親媚於主上。
一心に務め、職を営み、以て親媚(シンビ)せられんことを主上に求む。
与えられた職務を一心に務め、天子の親愛を得ようとしておりました。
而事乃有大謬不然者夫。
而(しか)るに事は乃ち大いに謬(あやま)りて然らざる者 有るか。
しかし思いもかけず物事には予想とは違って、思う通りにはならないことがあるものです。