【盈盈(エイエイ)たる一水(イッスイ)】と訓読みされまして、愛する人に会えない苦しみを言った言葉です。【盈盈一水】は、水が満ち溢れた一筋の川という意味になります。
【盈】は、乃+又+皿から作られた会意文字です。「みちる。みたす」という意味です。
【盈盈】で水の満ち溢れているさまをいいます。
『文選』古詩十九首のなかの、第十首「迢迢(チョウチョウ)たる牽牛(ケンギュウ)星」に【盈盈一水】がでています。
読んでいきますと分るんですが「迢迢たる牽牛星」の詩では、二人は会えないままです。
魏晉南北朝のあたりになりましと、二人の間に流れる天の川にカササギが年に一度橋をかけ、二人が結ばれるという話に変化します。
「迢迢たる牽牛星」。
迢迢牽牛星 迢迢(チョウチョウ)たる牽牛星
天の川を隔てて遥かかなたの彦星よ、
皎皎河漢女 皎皎(コウコウ)たる河漢(カカン)の女
明るく輝く織姫星よ、
纖纖擢素手 纖纖(センセン)として素手を擢(あ)げ
か細く白い手であざやかに
劄劄弄機杼 劄劄(サツサツ)として機杼(キチョ)を弄(ロウ)す
サツサツとして機(はた)を織る、
終日不成章 終日 章を成さず
終日織っても出来なくて
泣涕零如雨 泣涕(キュウテイ) 零(こぼ)ちて雨の如し
目からは涙が雨のよう
河漢清且淺 河漢 清く且つ淺し
天の川は清くて浅く
相去複幾許 相去ること複た幾許(いくばく)ぞ
互いの隔たり、どれほどか
盈盈一水間 盈盈たる一水の間
満ち溢れたる天の川
脈脈不得語 脈脈として語るを得ず
見詰め合って、語ることもなし
七夕(七夕の節句)
祖先の霊に着せる衣服を機織(はたおり)して棚に置いておく習慣があり、棚(たな)に機(はた)で織った衣服を備えることから「棚機(たなばた)」というようになりました。
仏教が伝来すると、7月15日は盂蘭盆となり、棚機(たなばた)は盆の準備をする日ということになって7月7日になりました。これに中国から伝わった織女・牽牛の伝説が結び附けられました。