【秋霜】は晩秋の厳しい寒さによって生じる霜のことです。【烈日】は極暑の烈しい日差しをいいます。
二つ合わせた【秋霜烈日】は冷たさも暑さも半端でない厳しさを表す四字熟語です。ここから、刑罰・権威・意志などが極めてきびしく、また厳(おごそ)かであることのたとえに使われます。
【史記・李斯(リシ)列伝】に始皇帝の死後、太子扶蘇(フソ)を廃し、公子胡亥(コガイ)を後継ぎとすべく宦官(カンガン)趙高(チョウコウ)が宰相李斯を唆(そそのか)す場面で
『 ・・・・。秋の霜が終われば草花はしぼみ、春になって氷が解けて万物は生動します。これは必然の法であります。李斯様はお気づきで無いようですが。』と【秋霜】を使っています。
また李白「秋浦歌(シュウホのうた)・其の十五」の中の、白髪三千丈の詩にも【秋霜】が出てきます。
私 訳
白髪 三千丈 白髪 三千丈
愁(うれ)えに縁(よ)ってかくのごとく長し 愁いのうちに 伸び放題
知らず 明鏡の裏(うち) 鏡に映る 我がこうべ
何れの処よりか秋霜を得し 霜と見紛(みまご)う この白さ
「新唐書」の段秀実(ダンシュウジツ)列伝に、人並み外れた正義感の武将段秀実を
「たとえ千年五百年たっても、彼の英烈なる言葉は、厳霜烈日(ゲンソウレツジツ)のごとく畏(おそ)れ仰ぐべし」と讃えています。
南宋の詩人、辛棄疾(しんきしつ)の「永遇楽(エイグウラク)・烈日秋霜」に「烈日秋霜、忠の肝(こころ)、義の胆(こころ)」という句が知られていまして、忠誠心の強さの形容に「烈日秋霜」として使われています。
【厳霜烈日】→【烈日秋霜】→【秋霜烈日】と使われかたが変遷していったようです。
【秋霜烈日】は、日本の検察官が着ける検察官記章のデザインに対する呼称でもあります。
検察官記章は、「旭日と菊の花弁と菊の葉」をあしらい、四方に広がる霜と日差しのようにも見えるため、「秋霜烈日のバッチ」、「秋霜烈日・章」などと呼ばれているようです。
【秋霜烈日】の精神・態度、でいくならば 『誤審』、『冤罪』を作りだしたり、『不祥事』など起こるはずがありません。
警察・検察の皆さん、助けを求めて出した『被害届』を受理しないで、慰安旅行など行かないで下さい。
2012・3・24 記