【功(コウ)を通じ事(こと)を易(か)う】と訓読みされますが、
【事(こと)を易(か)え、功(コウ)を通じ】として解釈するのがよいと言われています。
職業(仕事)は分業にして、その製品をお互いに交換させる、という意味にです。
『孟子』滕(トウ)文公章句下の話の中に【通功易事】がでてきます。
孟子の弟子:彭更(ホウコウ)がたずねました。
先生は(失礼ですが、一介の処子(ショシ:ろうにん)なのに)、何十台という車を連ね、
大勢の従者を引き連れて、諸国を渡り歩き結構な報酬を得ているのは分に過ぎた
奢(おご)りではありませんか。
弟子の彭更は、孟子が何も具体的な仕事をしてないのに、報酬を得ていることの訳を聞いたのです。
諸国の悩み事を聞いてその解決策を教え、成果がでたから報酬を得ているのだ。
ということを説明するための喩え話として、【通功易事】の話をしました。
曰、子不通功易事
曰く、子 功を通じ事を易え、
孟子は言いました、お前が、もし國の政治を執るとしたら、
職業(仕事)は分業にして、その製品をお互いに交換させ、
以羨補不足、
羨(あま)れるを以て、足らざるを補わずんば、
一方のあり余ったもので他方の足りないところを補うような方策をたてなければ、
則農有餘粟、女有餘布、
則ち農(夫)に餘粟(ヨゾク)あり、女(工)に餘布(ヨフ)あらん。
農夫は、穀物は余るが布は少しもなく、女工は、布は余るが穀物は少しもないというように
(必ず片寄って困り果ててしまうだろう)
子如通之、則梓匠輪輿、皆得食於子、
子 如(も)し之を通ぜば、則ち梓匠(シショウ)輪輿(リンヨ)、皆食を子に得ん。
(もし、それを)お前が、うまく交換させてやったら、
(農夫や女工ばかりでなく)建具屋も大工も車輪工も車台工も、
誰もがみんな、お前のお陰でちゃんと生活できるようになるのだ。
1859年5月26日、徳川幕府がアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダの5カ国との間に結んだ友好通商条約に基づいて、横浜、長崎、函館の各港で自由貿易の開始を布告しました。
これを記念して、昭和38年(1963年)に「貿易記念日」が制定されました。