自分本来のものを忘れ、やたらと人まねをしようとすれば、結局どちらもものにならず、両方とも駄目になることのたとえです。【邯鄲之歩:カンタンのホ】という四字熟語で知られています。
【匍:ホ】は、勹+甫 から作られた形声文字です。意味は、「はう。はらばう」です。
【匐:フク】は、勹+畐 から作られた形声文字です。意味は、「はう。はらばう」です。
【匍匐】は、同義の2字を重ねて「はう。はらばう」を強調しています。
『荘子』秋水篇にでている話です。
邯鄲(カンタン)の人たちの歩き方が優雅だというので、それを真似しにいった若者が、会得しないうちに
自分の歩き方も忘れてしまい【匍匐】して国に帰った話です。
且子獨不聞夫壽陵餘子之學行於邯鄲與。
且(か)つ子(シ)は独(ひと)り夫(か)の寿陵(ジュリョウ)の余子(ヨシ)の行(あゆ)みを
邯鄲(カンタン)に学びしを聞かざるか。
君は寿陵(ジュリョウ)の若者が邯鄲まで出かけていって、
そこの歩き方を学んだという話を聞いた事はないかね。
未得國能、又失其故行矣。
未(いま)だ国能(コクノウ)を得ざるに、又其の故(もと)の行みを失なう。
彼はその国のやり方を会得出来ないうちに、元の歩き方を忘れてしまったので、
直匍匐而歸耳。
直(た)だ匍匐(ホフク)して帰るのみ。
四つんばいになって帰るしかなかったという。
芥川龍之介の『歯車』に【蛇行匍匐】が引用されています。『韓非子』からの引用としていますが『荘子』の間違いです。もう一つ【屠竜の技】も『韓非子』からとしていますが、これも『荘子』の間違いです。
【屠竜之技:トリョウのギ】は、見事ではあるが実際には役に立たない技術のたとえとして『荘子』列禦寇
(レツギョコウ)篇にでています。
僕はこの本を手にしたまま、ふといつかペン・ネエムに用ひた「寿陵余子」と云ふ言葉を思ひ出した。
それは邯鄲の歩みを学ばないうちに寿陵の歩みを忘れてしまひ、【蛇行匍匐】して帰郷したと云ふ
「韓非子」中の青年だつた。
今日の僕は誰の目にも「寿陵余子」であるのに違ひなかつた。しかしまだ地獄へ堕ちなかつた僕も
このペン・ネエムを用ひてゐたことは、・・・・・僕は大きい書棚を後ろに努めて妄想を払ふやうにし、
丁度僕の向うにあつたポスタアの展覧室へはひつて行つた。が、そこにも一枚のポスタアの中には
聖ヂヨオヂらしい騎士が一人翼のある竜を刺し殺してゐた。しかもその騎士は兜の下に僕の敵の
一人に近いしかめ面を半ば露してゐた。僕は又「韓非子」の中の【屠竜の技】の話を思ひ出し、
展覧室へ通りぬけずに幅の広い階段を下つて行つた。