孔子が自分のことを言った四字熟語です。
私は若い頃 身分も低く貧しかった。そのため、いろんなつまらん事でもやってきたし、
知ってもいるんだ。
これが【鄙事多能】の意味です。
『論語』子罕(シカン)第九編にでています。
太宰問於子貢曰、夫子聖者與。
大宰(タイサイ)子貢(シコウ)に問ひて日く、夫子は聖者か。
ある国の宰相が子貢に向かって、あの方は聖人なのでしょうか。
何其多能也。
何ぞ其れ多能なるや。
何と多能なお方でありましょうか、と云った。
子貢曰、固天縦之將聖。
子貢日く、固(もと)より天縦(テンショウ)の将聖(ショウセイ)なり。
子貢はこれに答えて、もとより天分としては聖人になれる可能性を持たれ、
天の御心で先生を聖人たらしめようとしているのです。
叉多能也。
又多能なり。
その上に多くのことがお出来になるのです。と云った。
子聞之曰、太宰知我乎。
子之を聞きて日く、大宰我を知るか。
これを聞いた孔子は、大宰は私のことを本当に知って云っているのだろうか。
吾少也賤。
吾少(わか)くして賤(いや)し。
私は若い頃身分も低く貧しかった、
故多能鄙事。
故に鄙事に多能なり。
だからつまらないことでもいろいろ出来るようになったのだ。
君子多乎哉。不多也。
君子は多ならんや。多ならざる也。
君子は多芸多能でなければならないのだろうか、いや、多芸多能である必要などない