ロマン・ロラン(1866年1月29日~1944年12月30日)は、フランスの、理想主義的ヒューマニズム、平和主義 、反ファシズムの作家。戦争反対を世界に叫び続け、国際的に多くの知友を持ちました。
1887年(21歳) トルストイ『戦争と平和』を読んで、トルストイと文通。
1889年(23歳) 高師を卒業すると同時に歴史の教授資格試験に合格、
1892年(26歳) 言語学者ミシェル・ブレアルの娘クロチルド(Clotilde)と結婚するが、1901年に離婚。
1895年(29歳) 『近代叙情劇の起源』と『16世紀イタリア絵画の凋落』とにより文学博士の学位を取得。
1910年(44歳) レジオンドヌール勲章を受章、
1912年(46歳) 『ジャン・クリストフ』を脱稿。
1913年(47歳) 『ジャン・クリストフ』が『アカデミー・フランセーズ文学大賞』を受賞。
1914年(48歳) 8月 第一次世界大戦勃発。仏独両国へ「戦闘中止」を訴える。
国際的には評価されましたが、母国では好まれなかったようです。
1916年(50歳) 1915年度のノーベル文学賞を受賞。
1931年(65歳) 父親が死去し、マハトマ・ガンジーが来泊。
この年に起こった日本の満州占領も非難しています。
1936年(70歳) アンドレ・ジッドの司会により、生誕70年の祝賀会がパリで挙行。
1939年(73歳) 第二次世界大戦が勃発
1943年(77歳) 病床に就き、
1944年(78歳) パリの解放を知り、ソヴィエト大使館の十月革命祝賀会に出席。
年末には原稿の校正を終えると永眠しました。12月30日
参照:『ウィキペディア』 2012・3・19 記