ひとかけらの氷のように、曇りのない澄みきった心という意味です。
名声や利益を求めることなく、品行、方(まさ)に正しく生きているの意味を込めています。
王昌齡の七言絶句「芙蓉楼(フヨウロウ)にて辛漸(シンゼン)を送る」の結句にある言葉です。
一片の 氷心 玉壺(ギョクコ)に 在(あ)りと。
王昌齢(700年?~755年?)は盛唐の詩人です。玄宗皇帝の時、37歳のころ進士に及第して官につきましたが、奔放な性格のためか地方の官吏を転々とさせられました。
王昌齢が江寧(コウネイ:いまの南京)の副知事をしていた時、洛陽に旅立つ親友:辛漸への送別として
作ったのが「芙蓉楼送辛漸」です。特に七言絶句はその構成の緻密さと、送別詩における清冽さが多くの人を
魅了しています。
寒雨連江夜入呉
寒雨(カンウ) 江(コウ)に連(つらな)って 夜 呉に入る。
冷たい雨が揚子江に降り続く中を、昨夜君を送って呉の地までやってきた
平明送客楚山孤
平明(ヘイメイ) 客を送れば 楚山(ソザン) 孤(コ)なり。
夜明け方、君を送れば、行く手に楚山が一つさびしく聳(そび)え立つ
洛陽親友如相問
洛陽(ラクヨウ)の 親友(シンユウ) 如(も)し 相(あひ)問(と)はば、
洛陽の親友たちが、もし私のことをたずねたら、
一片氷心在玉壺
一片の 氷心 玉壺(ギョクコ)に 在(あ)りと。
玉の壺に盛られた氷のように清らかな心、とそう答えてくれたまえ。
【一片の氷心、玉壺に在り】は王昌齡のこの詩で知られるようになりましたが、
六朝宋の鮑照(ホウショウ)の五言律詩『白頭吟:ハクトウギン』の首聯(第1句、第2句のことです)
直如朱絲繩
直(なほ)きことは朱糸の縄(なわ)のごとく
清如玉壺冰
清きことは玉壺の氷のごとし
をふまえたものだそうです。