楽しく語り合い、つい顔もほころびてゆく様子を表わした四字熟語です。
【歓言】は、楽しく語り合う意味ですが、時にはお世辞を言う意味にも使われます。
【愉色】は、喜びに満ち溢れた顔つき、という意味です。
四字熟語としての【歓言愉色】は、中国古典のなかでは、見当たりませんでしたが、『吾輩は猫である』にでてました。
吾輩は近頃運動を始めた、で始まる「第7章」 に使われています。
今主人が踏んでいる所は敷居である。流しと板の間の境にある敷居の上であって、当人は
これから【歓言愉色】、円転滑脱の世界に逆戻りをしようと云う間際である。
熟語としての【歓言】は、陶淵明の『讀山海經:センガイキョウを読む』の詩にありました。
405年秋、陶淵明は彭沢(ホウタク)県の県令となりましたが、2か月余りで辞任して帰郷し、
その後隠遁生活に入りました。閑居の合間に、山海経を読む様子を詠った詩です。
【歓言】のでている前後の句を抜粋しました。
孟夏草木長 孟夏 草木長じ 初夏 草木が伸び、
衆鳥欣有託 衆鳥は託する有るを欣び 鳥たちは 巣作りに励み、
吾亦愛吾廬 吾も亦吾が廬を愛す 私も我が家が、お気に入り
歡言酌春酒 歡言しては春酒を酌み 歓談しては、酒を飲み、
摘我園中蔬 我が園中の蔬を摘む 庭の野草を肴にす。
熟語としての【愉色】は、礼記(ライキ)の祭義篇にでていました。
孝子之有深愛者、必有和氣。
孝子の深愛ある者は、必ず和氣(なごやかな気分) 有り。
有和氣者、必有愉色。
和氣ある者は、必ず愉色(やわらいだ顔つき) 有り。
有愉色者、必有婉容。
愉色ある者は婉容(やさしい態度) 有り。